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S.R.S の3.11 =その2= 。

あの日から、50日以上の月日が経ち

当初のような明日をも知れぬ不安な状況は脱してはおりますが

まだまだ大きな爪あとの残る環境で暮らす中、

その心情は、受け入れながらもその只中にあり、


知人、友人との間でも、ほとんどが震災の話題に尽きるわけで、

あの当時のそれぞれの体験をきくと、みんな詳しく話してくれます。

家が流させた者、自分が津波に飲み込まれながらも助かった者、

家族との再会、家族が亡くなった者、自分がそのとき見たこと。


ひとに話を聞いてもらうことで、少しだけ心が軽くなるような気がするのです。

ボクがここに、自分の体験を書き込むのも、そのような心情が働いています。




= 前回のつづき =


・・・

子供たちの無事を確認しホッとすると、現金なもので、

この寒い最中、冷たく汚れた水の中に入り込むことに、ためらいが出てきた。

「おーい!」手を振ってみるが、気づいていないように見えた。

(後で聞くと子供たちは気づいていて、津波到達場所ギリギリのところに

 車を止めたので、危ないから車を戻すようにとこちらに叫んでいたらしい。)


・・・とりあえず子供たちは先生たちと一緒だし大丈夫だろう。

しかし、ここ上平田地区は他の地域と隔離されてしまった。

どこにも行きようがない。・・・


この地区にある設備と状況を再確認しよう。

再び上のほうに戻ってみることにした。


すぐ橋のところで、長女の同級生Nちゃんのお母さんに会った。

状況を見に来たらしいが、道路が塞がっていて家に戻れない。

Nちゃんのお母さんは平田ニュータウンにある老人福祉施設で働いている。

そこは今避難してきている人がたくさんいて、

これから戻って炊き出しをすると言っていた。


設備を確認していると

小学校の活動で一緒のNさんに出会う。

お互いの安否を確認する。

丁度近くで仕事をしていたNさんは、

学校から帰ってきてどこかに遊びに行っていたであろう子供を捜していた。


・・・その後、同僚のN.Iくんの奥さんに会った。

小学1年生の長女とまだ小さな次女を車に乗せていた。

「大丈夫だった?」

安否を気遣うと、幼稚園に通っている長男の送迎バスが来ていないとのこと。

とても不安な様子だ。

N.Iくんとも連絡がとれず、心配している。

・・・

地震発生当初、社員はみんなそれぞれの地域で仕事をしていた。

会社に戻ってきた者も設備確認のためいろいろなところに散らばっている。

N.Iくんがその時、どこで何をしていたのかボクには分からなかった。

「Iくんは大丈夫だし、T(Iくんの長男)もきっと大丈夫だから。」

根拠はなかったが、その言葉しかでてこなかった。

「ゴゴゴゴゴゴ・・・」

大きな余震がきて足元がふらついた。

とにかく安全な場所にいるように諭して別れた。


車でさらに上へ向うと、

近所のWさん(奥さん)が道路から海側を不安そうに覗いていた。

車を降りて声をかけると

「Maちゃん(ウチの長女)のパパ!

 ・・・まだ帰ってきていない・・・どうしよう・・・どうしよう。」

涙目のWさんを落ち着かせて話を聞くと、

ウチの次女と同級生の長男Tくんは帰宅していたが、

ウチの長女と同級生の次女Rちゃんと中学生のお姉ちゃんはまだ帰っていない。


「大丈夫だよ。子供たちは平田駅に先生達と避難しているのをさっき確認しているから

 ・・・わかった、今連れてくるから。」


また下のほうへ戻る。

車を橋のところに停め、駅のプラットホームまでどうやって上ろうか考える。

通常の上り口は浸水しているが、先程より少し水が退いたのか、

こちらからみて手前にあるアパートの敷地内駐車場から

法面を登ればホームに行けそうだ。


フェンスを乗り越えて、ホームまでよじ登る。

子供たちに声をかける。顔見知りの子供達もいる。

良かったRちゃんもいた。本当は確信がなかったのだ。

ウチの2人の子供たちも、ボクに会えてホッとしている。

よかった。本当によかった。

・・・しかし、ここにいる他の子供たちは、まだ親御さんに会えていないのだ。


先生たちにも挨拶をして話を聞くと、

学童クラブの子供達と、学校に残っていた子供達を一緒に避難させて

ここまで来たとのこと。

長女はまだ書道教室には向っておらず、

Rちゃんたちと学校に残っていたとのこと。

先生の誘導で、はじめ学校の3階へ避難した後

この平田駅まで避難してきたらしい。

先生たちの冷静な判断に感謝する。

・・・とにかく、みんな無事で良かった。


下からはよく見えなかった下平田地区がプラットホームからは見えた。

その光景にあぜんとする。

海からここまで、崩壊した家々が押し流されてきている。

瓦礫があちこちに堆積している。

押し流され潰れたであろう車のクラクションがどこかで鳴りっぱなしになっている。


余震は幾度となく続き、ボクはしばらく子供達とその場に留まった。

とてつもない事が起きたには違いないが、

いったいどこでなにがどうなっているのかよく解らなかった。



・・・

時間は午後四時にとどこうとしている。

このままここに留まるわけにはいかない。

先生達に子供達を連れて帰ると告げる。

親御さんが自宅で待っていることの確認がとれている子供は

連れて行っていいが、そうでなければ連れて行けない。

とりあえず、我が家の子供たちとRちゃんを連れて行く。

子供たちをなんとか下まで下ろし、車に乗せて移動。


途中、長女やRちゃんと幼馴染で仲良しのMちゃんの家に寄ってみると

Mちゃんのおばあちゃん達は家の駐車場で車に乗って避難していた。

Mちゃんのお父さん、お母さんは職場から戻ってきてはいない。

おばあちゃんに事情を話し、乗せている子供たちをWさん宅にあずけた後に

Mちゃんを連れてくると約束して、Wさん宅へ向う。


Wさん宅に子供たちを預けて、駅へ戻る前に

次女の同級生のmちゃんの家へ寄ってみる。

mちゃんの家は留守だった。mちゃんは連れてくることはできない。


駅に戻りMちゃんを連れて帰り、また駅へ。

他の子供たちも不安そう、しかし連れて行くことはできない。つらい。

ホームには先生、生徒たちの他に近所から非難してきた人たちも何人かいた。

先程会ったNさんも子供たちを心配して駆けつけていた。


辺りは日が沈み始め、風が吹くたびに寒さが身に染みてくる。

一般の人たちの中に少し怪我をしていて

それに服が濡れているおばあさんがいた。

「おばあさん。上の老人施設が避難所になっているようだからそこに行こう。」

ぶるぶる震えているおばあさんを説得。

他の人にも勧めると、数人のご老人が誘いにのった。


先生達にも一緒に行こうと提案したが、

学校も避難場所になっているので離れるわけにもいかない。

もう少しここで待機するとのこと。

(この後しばらくして、先生達は学校を確認後、生徒・残った人たちと

線路を越えて向こう側の別の避難場所へ向ったらしい。)


いったんホームを降りて、人が乗れるように車の荷物を降ろす。

橋のところで津波浸水の様子を見ていた数人の若い人たちに声をかけ

老人達の誘導を手伝ってもらうことにすると、快く手伝ってくれた。


津波は落ち着いたとはいえ、まだ退いたり寄せたりを繰り返している。

波が退いて大丈夫そうな頃合を見計らって、四人の老人を

若い人たちとボクとNさんで手を引きながら駅を降りていく。

まだ泥でぬかるんでいて、瓦礫が散乱している道を

瓦礫をどけながら車のところまで進んでいった。


丁度そこに来た車にも声をかけ、ボクの車と分散して

施設まで乗せていった。

施設では職員の方々が忙しく動き回っていたが老人達を引き取ってくれた。


その後ボクはもう一度会社へ向うことを試みる。

波は大分落ち着いて、退いている。

最初に通ろうとした川の左側の道がなんとか車一台通れそうだ。

瓦礫を避けながら、国道に出ることができた。


崩壊した家、ある工場からの構造物、車、小型船舶・・・

それらが考えられない状態にあるのを目の当たりにしているのだが

なんとなく実感が沸いてこない。

映画のセットのなかを通り抜けてきた気分だった。


国道45号線から見える平田湾も嘘のように変わり果てていた。

PAP_0035-1.jpg

途中、道路をひとりで歩いている人に声をかける。

「どちらへ行くんですか?どこから来ましたか?」

平田から中妻方面へ歩いて帰るという。車は流されてしまったらしい。

「どこまで行けるか分からないけど、

 行けるところところまで行ってみましょう。乗ってください。」


国道45号線は大平町を過ぎ、

嬉石町へ入ると途中から、津波浸水想定区域となっている場所だ。

当然水没していることが予想される。女坂(めさか)を通っていこう。

(結局は同じ場所へたどり着くのだが・・・)


女坂を通ると途中崖崩れを起こしていた。軽自動車一台は通れる。

そこのカーブを曲がり終え、下り坂前方をみて唖然。


薄暗い中に壊滅した町が浮かび上がる。

・・・ある程度の覚悟は出来ていたが想像以上の状態だ。

嬉石地区集会所のあたりから下は瓦礫で埋まっている。

もうこれ以上は進めない。他に手段もない。



「これ以上は無理ですね。どうしますか?戻りますか?」

「ここからは何とかします。ここで降ります。」

お互いの無事を祈り彼とここで別れた。


ボクは車を止め、しばらくそこの光景を呆然と眺めていた。

同じように眺めている人が数人いた。

家が押し流されて道路を完全に遮断している。

瓦礫を乗り越えても向こう側には行けそうもない。

眺めることしか出来ないのだ。


会社に戻ることは断念した。大平の町の様子を見に戻ろう。

来た道を戻り、途中脇道を入り大平集会所を過ぎると・・・

会社の車が見えた。誰か来ていたんだ。


そこには会社の車両が3台。

Y.S君 S.G君 N.M君 T.S君 K.Mさんの5人と関連会社の人2人。

緊急対応をしていた。辺りはすでに暗くなっている。

会社の状況などをたずねても誰も何もわからない。

みんな偶々こちらの地域にいたか、ここまで避難してきたのだ。


緊急対応中、矢の浦橋から中番庫あたりで二度ほど爆発音があったが

真っ暗で何が起きているのか解らなかった。


「平田に戻ろう。」そう思った。

どうにも連絡が取れない、となると

各地に分散して、そこで自分達の判断で各地域の緊急対応を行う。

そうするしか手立てがないと思った。

同じ上平田に自宅があるT.S君も連れて行くことにした。

K.Mさん(女性)も連れて行くかどうするか迷った。

K.Mさんの自宅は下平田にある。この地域が被災したことは分かっている。

K.Mさんの自宅がどうなっているかは分からない。

連れて行くべきかどうするか本当に迷った。

K.Mさんはここに残ると自ら決断した。


自分が乗ってきた車に乗り込もうとしたとき、

Y.S君の車に搭載した無線機が会社とのアクセスに成功した。

無線機で連絡ができる。

もう一台無線機を積んでいた、S.G君の車に乗り換えて

ボクとT.S君は上平田へと戻った。


・・・

平田ニュータウンへ来ると、一度子供たちのいるW家へ行った。

今夜は無線を使い会社の指示を仰ぐため、

車の中で待機することを、子供たちとWさんへ告げる。

「子供たちをよろしくお願いします。」

Wさんは快く引き受けてくれた。

子供たちと一緒にいてあげられないことはとても辛かった。


無線電波の状態は芳しくなく、電波の良いところを捜して彷徨った。

結局はT.S君の家の前が一番状態が良かった。

なぜか本部(会社)とは直接やりとりができず、

大平のY.Sくんか中妻にいたS.Sさんを中継して連絡をとった。

中妻地区には中妻以西にいた社員が集まっているらしく

多くの社員の無事が確認できた。

しかし、3名ほどの社員の安否が分からなかった。


・・・

この日の夜はとても寒かった。

T.S君が自宅から、おにぎり・コーヒー・毛布を持ってきてくれた。

乗ってきたS.Gくんの車のラジオが壊れていて聴くことが出来なかった。

携帯のワンセグテレビは見ることができた。


そこで今回の地震、津波の大規模な被害を知った。

緊急地震速報が頻繁に出されている。

しかも様々な場所で地震が起きている。

「なにかとんでもないことになっている。」そう思えたが、

肝心の自分達の状況が把握できていない。頭が混乱していた。


無線でのやりとりで、

会社の事務所も津波の被害にあったことを知る。

危険だということでそこに避難した一般の人と残っていた社員は

安全な避難所へと移動した。


N.Iくんの無事も確認できたので、奥さんへ知らせようと自宅へ行くが

自宅には誰もいなかった。


「カミさんは大丈夫だろうか?」

きっと無事だと信じながらも、最悪の事態が頭をよぎる。


・・・

寒さと、不安で眠れぬ車中。タバコの吸殻だけが増えていった。



                = S.R.S の 3.11 = おわり =
 
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応援しています

こんばんは

とても大変な日々が続いてるのでしょう
ただちに 復興はしないと思いますが
みんなで力をあわせて
頑張っていきましょう


No title

S.R.Sさん。
書いてください。
ぜひ書いてくださいね。

一言一言。
しっかり噛みしめて
読ませていただきます。

Joeーくんさん

コメントありがとうございます。
返事が遅くなり申し訳ございません。

復興計画もまだ決まっていないので
この先どのようになっていくのか分からず
日々を過ごしております。

しかし、瓦礫も徐々に撤去されてきて
毎日様子が変化してきているのも事実です。

心強いお言葉、みんなが一つになれたら何かが変わりそうな気がします。

ここで今までと何も変わらなかったら
なにも学びがなかったことになってしまうと思います。

いま自分にできること、心の奥で呼びかけていること
そのようなものに耳をかたむけ進んでいけたらとおもいます。

どうもありがとうございました。mv-14

>>まき子さん

書くことに迷いもありましたが
まき子さんのお言葉で、
背中をおしていただきました。

ただのある一人のただの記録ではありますが
書くことがボクには必要な作業でもあるような気がします。

本当にありがとうございます。mv-14

No title

ネットもやっと回復なさったようで
少しずつですが復興に向けて進んでいるようで
こちらからは義捐金程度の事しかできませんが
関西から元気を!!!
もっとうに普段変わらず過ごしています

ありがとうございます

S.R.Sさん、生きていてくれてありがとうございます。

当日の臨場感が脳裏に思い浮かぶようです。
本当に大変な一瞬一瞬を過ごされたんだなぁと思います。

その一を読んで、
最後まで読んでからコメントをと思いましたが、
ちょくちょくコメントさせて頂きます。

嫁さんの実家の遠野には釜石から多くの方がきているようです。
起きたことを書いてくださいましてありがとうございます。
情景を思い浮かべながら読ませていただきます。
こういう日記って本当に大切です。。。
これからもお願い致します。

今いる仙台は雰囲気的には落ち着いてきましたが、
津波の爪あとはほぼそのままです。

S.R.Sさんファミリーやお知り合いが元気になるように、
心から祈っております!!!

>>てらぞうさん

いつもありがとうございます。
>関西から元気を!!!
嬉しいですね。元気いただきました!
災害復旧支援でも関西から多くの方がいらしています。

どうもありがとうございます。mv-14

>>ぜんさん

ぜんさん、ありがとうございます。
いま遠野はいろいろな拠点となっています。
釜石、大槌で作業をしてくださっている
災害支援の方々の宿泊や、基地になっていたり
釜石の人たちもたくさん行っているようですね。
また、大槌には遠野のボランティアの方々が
住宅の瓦礫の撤去や泥を取り出したりしてくれています。

仙台もまだまだ津波の爪あとは大きく残っていることでしょう。
お互い元気にいきましょう!

どうもありがとうございます。mv-14

博多から頑張れ

今回、けさやんさんのサイトからお邪魔します。

今頑張れて行けば未来はキットいい事が有ります。v-218

九州博多から応援します。

No title

今までも これからも
そして たった今だって
ずっとずっとあなたのこと
祈り続けている人が
いるんだって云うこと
けっして忘れないで
いてくださいネ

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